家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
読むと書くの教室
今日は「神秘哲学」です。
正直、わけわかりません。
日本語で書かれているという事だけは、ようやく理解できました
そんなレベルです。
最近
「不滅の哲学 池田晶子」(若松英輔著 亜紀書房)
というのを読み始め
その中に
哲学というのは学業や学科の名称ではなく
日常で経験される気づきの瞬間それ自体である
という一文に出会いまして
哲学は頭で理解するものではなく
日々生きて、そこから何かを感じ、考える事こそ哲学だ
そこから哲学は始まるのだと思い
今回も出席しました。
実際にこの講座の中で
先生が繰り返し話されているのも
アリストテレスの言ったことを理解することでも
ギリシャ哲学を学ぶことでも
井筒俊彦を理解することでもなく
自分の中に引き受けること
自分の頭で考えること。
だから、3時間の講座の中で
一つでも二つでも、心に引っかかった言葉を持ち帰れたら
私としては出席した意味があって
それをもう一度、自分の頭で考える事が
大事だと思っています。
今日、私が受け取った言葉は
”分からないという事の前で立ち止まる”
分からない事って
そのまま通り過ぎてしまうこともあるけれど
そこで、踏ん張ってみると
分からない事に向き合っている自分に出会えるんですよ。
で
そこでふんばることで
分からない事が、分からない事として、
目の前に現れるんです。
分からない事と向き合っている自分に出会えるって
すごくない?
通り過ぎたのとは、全然違う。
分からないって言う世界が、目の前に開かれて
それは、分かるかもしれないという可能性につながるんです。
それは、分かりつつある自分への入り口でもあるんです。
何かを完全にわかるなんてこと、ないと思うんですよ。
でも、立ち止まることで
分かりつつある状態に変えることができる
分かるという事のスタートラインに立つことができる
すごくない?
分からないから
本を読むし
分からないから
人と話をしようと思う
分からないから、講座に出て
分からないから、考える。
なんか、良い感じ。
今日も、良い学びの時間を過ごせました。
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