家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
樹木希林さんが生前に残された言葉をまとめた本を読みました。
亡くなられたとき、いろんな報道番組で
いろんな映像が流れていて
映像の中ではなされている言葉の一つ一つも
心に残るものがたくさんありましたが
活字にになった言葉は、それとは違う力がありました。
「一切なりゆき~樹木希林のことば~」 文春新書
こうやって、活字になったものを読ませていただくと
またあらためて、たくさんの刺激をもらいました。
例えば、不器量だったから得をしたって書いてある
女優さんは、みんなきれいな人ばっかりだから
その中で不器量だったことが、逆に自分だけの特権となったって
年をとることも、全部あるがままに受け入れて
あるがままを生かそうとされる。
普通に洗濯も掃除もして、普通に暮らして
そのままの自分を、そのままにだす。
女優だからといって演技をするのではなく
いつも自然体でそのままだと。
どんな端役でも、セリフのない役でも
別に卑下することなく
セリフが多くても、少なくても
だからといって、何も変わらない。
後ろにいるだけの役でも、落ちぶれたとは決して思わない。
淡々と語られているけれど
どんなときにもぶれない自分というものをしっかり持っていないと
こうはいかない。
そうして、自分のこれまでのことを思い返すと泣きそうになりました。
私は、
料理嫌いの母親に育てられ
子供の頃から自分で料理をしていたから、普通の家庭料理というものを知らずに育ち
料理学校も行かず、栄養士でもなく
料理の先生のアシスタント経験もなく
ひたすら独学で料理も栄養も勉強してきました。
その経歴は
往々にして、料理研究家として低くみられることになりました。
けれどあるとき
それが私の宝だと思ったんです。
私だけしか持っていない、特別な経歴。
それは卑下することではなく、これが私なのだと思って面白がればいいと。
家庭料理は、少なくとも家庭料理は
毎日毎日、家族のために料理を作り続ける、その先につながっているのだから
ひたすら何十年も、毎日料理を作り続ければいい。
そうすることで、その先に進むことができる。
そう思って、何十年も家族のために料理を作り続けています。
偉い料理研究家にはなれないし
なろうとも思いません。
けれど、希林さんがおっしゃるように
当たり前に暮らすことで、当たり前の人を演じられるように
家族のために毎日料理を作っている人にしか
当たり前の家庭料理を伝えることはできない。
そう思って、家族のために当たり前に料理を作っています。
めんどくさいことはめんどくさいなと思って
材料がない時、足りない時、どうしたものかと知恵を絞って
思うような出来上がりにならなかったときは、あの手この手でごまかして
切り方を変えてみたり、隠し味を入れて失敗したり
樹木希林さんが、あんなふうに自然体の演技をされるように
あんな風に、さりげなくて、すっと心に入る料理をつくれるように。
この本を読んで
ああ、自分の目指している方向は、間違っていないな
この先の先の、ずっと先に、目指しているものはきっとあると思えて
なんだか、胸がいっぱいになって泣きそうになったのでした。
「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」
樹木希林さんの言葉。
心に染みて、また泣きそうになりました。
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