家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
京都は、今まさに紅葉の季節。
紅葉スポットも、いろいろあるので
どこに行くか迷うけれど
正直、どこに行ってもすごくきれいで、感動します。
合わせて、すごい人で、
皆さん、いい写真を撮るのに熱心です。
かくいう私と娘の、あっちこっちカメラを向けて
ああ、ここもきれい、あそこもきれいとキャーキャー言いました。
カメラは私たち親子の共通趣味で
今回の京都旅行の目的の一つが、紅葉の写真を撮ることだったんです。
自分の世界に浸って、写真を撮るのも楽しいのですが
お互いに撮った写真を見せ合いっこして
そんな風に摂った方がきれいだなあとか、
そっちの角度のもありだなあとか、言い合うのも楽しい。
お互いに写真を撮りあいっこしたり
一緒に写真を撮ったり(最近のカメラは自撮りもきれいに撮れますよね~)
ライン上にアルバムを作って、お互いにそこに送りあいっこしたり
カメラには、いろんな楽しみ方があります。
でもね、今回、はっと気づかせてもらったことがありました。
それは、宝厳院でライトアップされた紅葉の写真を撮っていた時のこと
こういう角度で撮った方がいいかとか
いやいや、ここよりあそこの紅葉の方が写真で撮ったらきれいかも、とか
そんなことを考えて、キョロキョロしながら歩いていたんです。
そうしたら、私の前に20代くらいのカップルがいて
彼氏の方が、スマホで一生けん命写真を撮っていたんだけれど
彼女の方が、それを見て言ったんです。
“目で見た方がいいよ”
はっとしました。
そして、そうだよね~って思いました。
私自身、少しでも上手に写真を撮りたいという事で頭がいっぱいになって
こんなにきれいな紅葉を、目で見て、感動することが二の次になっていたかも
って思ったんです。
カメラも大事。
写真を撮るのも楽しい。
でも、この紅葉のきれいさを自分の目でも見て
しっかり自分の心で感じないとね。
こんな歳になっても
若い子に、教えられることがまだまだあり
若い感性に、感謝です。
何気ない、こんな風景もきれいです。
コメント
奥薗先生 今日の日記を読ませていただいて、何となくですが紅葉を詠んだ百人一首の句が思い出されました。・・・「奥山に もみぢふみわけ なく鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」(猿丸大夫)「このたびは ぬさもとりあえず 手向山 もみぢのにしき 神のまにまに」(菅家)「あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり」(能因法師)・・・etc. 写真という便利なものがなかった時代に、昔の人はきっと紅葉の美しさや鮮やかさを、自分の目で見て感動して、後世に残る程の名句という形で残したのでしょうね。「しっかりと自分の心に感じ」ることから紡ぎ出されてきた言葉には、ある意味写真以上のパワーが宿っているのかもしれません。・・・勝手な連想であったとすれば申し訳ありませんが、そんなことを考えさせられました。
まあでも、先生のお写真は本当に綺麗で素敵ですので、こうしてシェアしていただけるのは読者としては嬉しいですが(笑)。
私も若い世代(高校生や大学生・大学院生など)と接する機会が非常に多い仕事をしていますので、よくドキリとさせられたり、気づかされることがあります。異世代交流、本当に素敵なことですね。心を柔らかく保つためにも、大切なことかと・・・。
本当、そうですね。言葉は、きれいな景色を残すための手段ですね。この綺麗な景色を、誰かに伝えたいという思いは同じなのかも。