家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
朝井まかてさんの、圧倒的な文章力にすっかり魅せられて
別の作品も読んでみることにしました。
「恋歌」(朝井まかて著 講談社文庫)
主人公は、樋口一葉の師、歌人の中島歌子、タイトルが「恋歌」
とくれば、これはもう和歌の世界を軸にした
恋愛ストーリーだろうと予想していたのですが
あろうことか、幕末、薩長と調停幕府の間で、運命に翻弄される水戸藩の
それも悲劇としか言いようのない天狗党の乱の顛末を
水戸藩氏の妻である歌子の目線で書いた、かなり骨太な歴史読み物でした。
幕末という日本の歴史の中の大きなうねりの中で起こった
水戸藩内部の分裂と内紛、天狗党の乱。
迫り来る外国の脅威、衰退する幕府の求心力、それに乗じて、無策の命令を発令しまくる朝廷
この世の中を変えられるのは自分たちしかいないと立ち上がる男たち
あの時代、何か狂気にも似たものすごいエネルギーが男たちを駆り立て
熱病に置かされたみたいな動乱の時代。
水戸藩も例外ではなく、この時代を変えるのは自分たちしかいないと
戦をしたことのない農民や町民までもが武器を持って、立ち上がる。
けれど水戸藩は内部分裂。
それまで、押さえつけられた負のエネルギーは内に向かい
同じ藩士同士で憎み合い、牢屋に閉じ込められ処刑される側と処刑する側とに分かれ結果に。
それを藩士の妻という、全く無力な存在をとおして書くことで
弱者の悲しみ、切なさ、苦しみが切実に迫り
また、だれのための変革であり、平和であり、戦いであったのかという
虚しさや理不尽さも際立ってくる。
詳しい経緯や、歴史的背景は、本を読んでいただくとして
その監禁されているシーンは、本当に壮絶で、涙なしには読めません。
この本を読みながら、頭によぎったものがありました。
フランクリンの「夜と霧」。
ナチスの強制収容所に監禁された著者が
自らも極限状態にありながらも
心理学者としての立場から、その時の収容された人たちの様子を描いた本です。
人が人を閉じ込め、せっかん、処刑。
次は自分かと日々おびえながら、ただただ生き延びている。
そんな究極の状態に置かれた時、人は天使と悪魔に分かれ
その人の本質が現れるものです。
自分を律し、人としての優しさを忘れず、道徳的に生きられるか
他人を蹴落とし、どんな卑怯で残酷なことをしても、生き延びたいのか
究極の状態になった時、自分は最後まで人としての尊厳を捨てずにいられるのか
今回の本でも、考えさせられました。
また、どんな状況であっても、自分の未来に希望を持つために必要なことは
自分の未来に、自分のやるべきこと、守るべき愛する人がいると思えること
そのことによって自分が必要な存在であることを自覚できたなら
どんな過酷な状況にも耐えられる、というのも、この2つの本には共通していました。
「夜と霧」では、寒さと飢えを紛らわせるために妻の笑顔思い出し
「恋歌」では、夫を想い、再び会えることだけを心のよりどころとして生き抜く。
人が人として、絶望せずに、正しく生きるために必要なことは
最終的には、自分の存在を必要としてくれる場所なのかもしれません。
そして、憎しみの連鎖を断ち切るのは、許しでしかなく
それができるのは、もしかしたら女性のほうなのかもしれないと思ったとき
この物語に、救いが見いだせました。
それにしても、こんなに息が詰まるような苦しいストーリーとは思っていなかったので
残酷なシーンは、息が詰まって苦しくなりました。
特に、子供の残酷なシーンは、いつまでも心の中に悲しさと苦しさと、やりきれなさが残ります。
(結構心に残るタイプなのです)
朝井まかてさんの文章は力があるし、簡潔でリズムが良いので好きなので
次は、あまり残酷なシーンのないようなものを読んでみたいです。
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さて、今日のお弁当です。
ズッキーニの肉巻き
にんじんとコーンのサラダ
チーズベイクドポテト
きゅうりの塩昆布和え
卵焼き、ミニトマト
ズッキーニを縦に切って肉を巻き、小麦粉をまぶして焼いてみました。
甘辛の照り焼き味にすると
ボリュームがあるけど、ほとんどがズッキーニなので
見た目よりもあっさりで、ぺろりと食べられます。
チーズベイクドポテトは
ズッキーニの肉巻きを焼いている横で、チンしたジャガイモをこんがり焼きました。
豚肉の脂で焼くと、ちょっとコクのある仕上がり。
軽く塩をして、スライスチーズをのせると、ちょっと手の込んだ感じになります。
にんじんのサラダは
オリーブオイルでにんじんとコーンをさっと炒めたところに
ドレッシングを回しかけて蓋をし、そのまま蒸し煮しました。
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