家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
今日の日経新聞の若松先生の記事
本は全部読まなくてもいいというような内容で
本の読み方にはいろいろあって
物を調べたり、研究したりするときは、細かく読む必要があるけれど
いわゆる読書という場合
先生は全部読まないのだそう。
言いたいことはわかる。
本を読んでいて、心に刺さる言葉や表現があったら
それを大事にして、それを温める
そうすることで、その本を読んだ意味があるという事らしい。
たしかに、そういう読書の仕方って、言葉とぐっと近しくなるだろし
それに出会うために本を読んでいるのだとしたら
それで目的は達成できたわけだし
そういう本の読み方、ありなんだと思う。
でも、
そういう読書の仕方を私はしたことがありません。
私は。どちらかというと
小さな言葉に出会うよりも
作者の言いたかった事とか
その作品のテーマとか
そういう事の方に興味があるんですよね。
しかも
本をちょこっとだけ読んで、終わりにするって言うのが
なんか気持ち悪くてできないのです。
書いた人に悪い気もするし。
なんか、中途半端な気がして。
もしかしたら
次のページに、本当に言いたいことが書いてあるかもしれないのに
読まずにこの本を閉じてしまうかもしれないって
なんかもったいない気がするんです。
小説だったら
途中で読むのをやめてしまったら、登場人物はそこから前に進めなくなって
それが、苦しいシーンだったら、ずっと苦しんでいる状態でいないといけないわけで
かわいそうだと思うんです。
エンデの「はてしない物語」の中にも、
ある子供が途中で読むのをやめたことで、
登場人物が、前に進むことも、引き返すこともできないまま立ち往生しているシーンがある。
途中で読むのをやめようとすると
悲しげな登場人物の顔が浮かんできて
ここで読むのをやめるわけにはいかないって思ってしまう。
でもね、
全部読もうとするのは、無謀です。
人生の中で、読める本の数に限界があり
これから先
限りある時間の中で
ちょこっとだけでも、読みたい本を読んだ方がいいにちがいない。
ちょこっとだけでも読んだ方が、絶対いいに決まってる。
時間は限りがあるからね。
人生折り返し地点過ぎたら
そのことは、きちんと考えないと。
それにしても
最近は読みたい本が次から次へと増えていき
もう絶対に全部は読み切れないし
なんなら、ちょこっと部分的に読むだけでも、
全部読めないです。
こういう風なことを考えると
人生って、意外に短いなあって思う。
とりあえず、読みたい本の優先順位つけよ。
コメント
奥薗先生に同感です。
著者は一字一句、必要だと確信して本を書いている。それを私が全部理解できるかどうかは別の問題だ、と思っていた。いずれわかる時が来るかもしれない、と思っていた。でも、しかし、三つ葉がないからといって茶碗蒸を作らなかったことがあっただろうか。。。作っているではないか。。。どうして読書に関しては妥協するのが辛いのか。自分がとても謎です。
本の読み方って、人それぞれで面白いですね。
読んでいて、分からなくなった時の踏ん張り方も、
人それぞれ、性格が出て面白いですよね。