でいりいおくじょのBLOG

2024.02.17

問いって何?

 

日曜日は読むと書くの教室に行くので

その前日は、できる本を読んだり考えたりする時間に充てたいと思うんだけれど

今日も、やっぱり朝から撮影に追われ

(撮影しないと間に合わない!!)

気が付けば夜。

 

で、明日はエッセイ教室なんで

皆さんの書かれたエッセイを読む。

1週間前に提出。もちろん私も!)

 

20名以上の方が出席されていて

それぞれが1500字くらいの文章を書いておられるので

これを読むだけでも結構時間がかかるのです。

(それを読んで添削される先生は、すごいです)

 

今回は「問い」というテーマだったのですが

実は、この「問い」って言うのが苦手で

「問い」って何なのかが、いまだによく分かりません。

 

Whatなのか Whyなのか Howなのか

そもそも、

問いが最初にあるのか

分からないってことが最初にあって、それが問いになるのか

どっちなんだ?

そんな初歩的な事がわかりません。

 

でも、皆さんのエッセイを読んでいると

 

なぜ生きるのかとか

死とは何か

どうしようもない現実をどう受け入れるかとか

みたいな「問い」が最初にあるみたいで

そこが、私とは違うなって思ったんですよね。

 

私の場合

もやもやした分からない事だらけで

まず、言葉にもならないようなわからない事がたくさんあって

それを日々ああでもないこうでもないとトライ&エラーをして

それでも、答えが見つからないようなことがあって

そういうことを全部ひっくるめて「問い」って言いうのかなって気がしていて

 

だから、「問い」って

やっぱり漠然としたもので

結局分からない事なんです。

明確な「問い」がないから

「問い」って言うものを言語化できないのです。

 

もちろん、人生について考えないわけじゃない

 

っていうか

この歳になれば、日々感じたり思ったりして暮らしています

 

毎日、考えて考えて

ああでもない、こーでもないって

どうしようもないくらい考えてます。

 

けど、それを言葉にしたとたん

何ええカッコしてんねん

って声が聞こえて、

とたんに居心地が悪くなる。

 

分かったふりをすんなよ、何にもわかっていないくせに

って声が聴こえる。

 

言葉への変換不能です。

やっぱ、ダメだな。

 

皆さんのエッセイを読むと

いつもへこむ。

 

たぶん、この教室のエッセイの傾向と合っていないんだと思う。

いつも、浮いている感じ。

 

けれど、この試練に打ち勝つことが

メンタルトレーニングなのだ。

 

もはや、エッセイを書くことのより

メンタルトレーニングの方がメインで

教室で知り合ったみんなに会う事や

学ぶことが目的になっているから

それでいいかなと思い始めています。

 

学ぶことは、喜び。

私の場合、その喜びをもらっているだけでいいのかも

 

料理について

思っていることを言葉で残してみたい

料理について、本当に伝えたいことを言葉で残したい

って思っている自分がいるんだけれど

そんなの無理無理って思う自分もいて

 

今回は、無理無理って思う自分の方が、ちょっと勝っているな。

 

それでも

学ぶ喜びは日々もらっているので

良いのです。

2024年2月17日とら

なぜ足が上がってしまうのか?

今日の問い・・?

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